2007年09月30日

「なぜ生産技術開発が日本にとって重要なのか」

日本において高機能複合材料の生産技術開発が始まったのは1934年(昭和9年)、私が生まれる10年前のことである。即ち、欧米列強との生存競争において対等に戦うためには、当時の重要な軍事戦略技術である銀塩写真感光材料の国産化が必須課題であり、映画用の写真フィルムを国産化する使命を担って富士写真フイルム株式会社が創立された年である。それまで我が国では映画用写真フィルムを製造することが出来ず、全量を欧米からの輸入に頼っていた。銀塩フィルムのような高度な生産技術を必要とする製品が国内では作れなかったのである。勿論、銀塩写真の基礎技術そのものは200年以上前に発明されており、当時としては誰でも知識として知っている技術ではあったのだが、知っているのとそれを工業的に生産できるのとはそのレベルにおいて大きな違いがあることを十分認識しなくてはいけない。
また、何ゆえに映画用写真フィルムが軍事戦略的な必須技術であったのかと訝る方も多いだろう。人類が手にした先端技術というモノは皆、その時々の軍事戦略的な目的に端を発している。即ち、如何に相手と有利に戦うかということなのである。
この歴史的法則は、現代においても当然生きており、世界を制覇するためには先端分野の生産技術開発力というものがその国の軍事的、国際経済的な序列を決めているといっても過言ではない。核兵器やミサイルの技術ばかりではなくスーパーコンピュータによるシミュレーション、人工衛星を使ったGPSナビゲーション、レーザーによる集積回路微細加工や耐熱性プラスチック、炭素繊維材料といった先端材料分野などと同じように、映画用写真フィルムの製造は当時の軍事戦略的な重要技術であったのだ。
映画用写真フィルムが軍事目的として使われて、それがその国に経済発展をもたらしたのではない。その生産技術の発展が、従来の映像文化を一新し、新しい文明を生み出したのだ。日本が20世紀最大の失敗国家と言われた程のどん底から立ち上がり、戦後半世紀足らずの間に奇跡的な復興を遂げ、最大の成功国家(GDP世界2位)に変革して行く過程でこの映画用写真フィルムの生産技術開発の果たした役割は計り知れないだろう。
私は、1968年(昭和43年)に東京大学工学部化学工学科を卒業し富士写真フイルム株式会社に入社して生産技術開発の一端を担当することになった。当時はまだ国産写真フィルムの生産技術は世界の巨人、イーストマン・コダック社(米国)のレベルには遠く及ばず、貿易自由化、資本自由化と矢継ぎ早に次々と押し寄せる国際化の荒波をどのように凌ぐかで、戦々恐々と緊張に満ちた日々を送っていた記憶が今でも鮮明だ。だが、この難局を突破する最大の武器は独自の生産技術開発であったということを私達は身を以って体験した。日本の製造業が経営資本力と生産や売り上げの規模、市場シェアと利益率、先行知財力と研究開発資金力、過去の経験、製造ノウハウの蓄積量などなどどの指標をとっても圧倒的に勝る先行企業に立ち向かい、対等に戦う手段をどのように探したらよいのだろうか。この難題に明解な回答ができる経営学者や企業経営者は、今の時代恐らくどこにもいないのではないだろうか。彼らは常に「寄らば大樹の陰」で、逆転の発想というものが著しく欠けている。
生産の現場を知らない、テクノロジストではない人達にこの答えを求めるのは酷というものだろう。
私の生産技術開発の技術コンサルティングにおける最大の関心事が正にこの点にあること、そして日本の製造業が21世紀に、LCCと対抗する手段は生産技術開発しかないということを伝承するのがサブラヒ・テクノロジストグループのモノ作りニッポン、生産技術開発技術コンサルティングの中核テーマである。

安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」を掲げ失敗した。
我々が今、最も真剣に取り組まなければならないのは、1990年代の『バブル経済政策の失敗レジームからの脱却だったのだ』
あの頃は、いわゆる就職氷河期と言われた時代で毎年排出される優秀な新卒人材に活躍の場を与えることをせず、彼等の多くが中国などに流れてしまった。国内に残った者は、フリーターなどという勝手なレッテルを貼られて社会的な虐待を強いられている。その結果を少子化や地方の過疎化と言いくるめ、辻褄の合わなくなった年金問題で危機感を煽る誤った認識を正さなければならない。
多少数は減っても、質の高い人材を適切な分野に正しく配置できれば、我が国にとって少子化などは追い風にはなっても、何も問題とすべきことではない。世界中が地球温暖化という問題で騒いでいる中で、我が日本は国家全体の消費エネルギーを最少にできる潜在的ポテンシャルを有する最強の国家である。地球温暖化問題の最大要因は、人口増大であることを忘れてはならない。
少ない人材を有効に生かす分野は、先端分野の生産技術開発しかないというのがサブラヒの結論である。

2007年09月29日

明治二十六年創業、元祖けつねうどん

image/sensinjuku-2007-09-29T01:38:16-1.JPG大阪南船場のお店で、本舗の味を楽しんだ。非常にシンプル、必要最小限の本物!
一杯五百五十円、これに文句をつけられる者もいない。
残念ながら二代目店主宇佐美辰一さんは、六年前に他界されたそうだ。

2007年09月21日

米原に行く。

 滋賀県米原の駅に、初めて降り立った。輸出管理該非の判定支援を業の一部にしている私のところには、全国から引合いがありしばしば、普通ではめったに下りることのない駅に降り立つ機会に回り逢うのは楽しみの一つである。
 今日は、朝早く家を出て、米原駅に着いたのが九時を少し回ったころだった。
駅の裏は、新幹線が止まる駅にしては何もない。原っぱの目立つところでアスファルトの長い道が延々と伸びていた。遥かかなたのビルディングの壁に顧客企業の中央研究所の名前が見える。

ヤンマー.JPG

 彼岸とはいえ今年の夏は未だ暑かった。何もない、自動販売機もない延々と続くアスファルトの暑い道をテクテクと進むのは、なかなか普通なら勇気の要ることである。

 長い道のりであればあるほど、その先にある目的が確かである必要がある。

2007年09月21日

道路は、通れなければ意味がない!

image/sensinjuku-2007-09-21T08:14:27-1.JPG
多額のお金を注ぎ込んで造った道路が、使われずに長い間死んでいる。数軒の、恐らく立退き交渉決裂組が居座って周辺社会に醜態を曝しているのだ。みっともないこと甚しい。かっては、東京オリンピックの時、環状七号線建設に当たって同じような事態が発生し、前後に延びた新しく、広い道路を、たった一軒の家が分断し、道路全体が死んでしまっていた光景を思い出した。成田空港建設ブロジェクトの際も同じようなことが起こった。なぜ日本人はこんなにも公徳心が薄く、ものの道理の分からない人たちなのだろ。
 道路は、車が沢山スイスイ通ることを前提として建設され、ETCは料金所での渋滞を無くすために皆が使うことを前提で設置されるものだ。
 ETCラインが空いていて、人が立つ料金所の側が渋滞の長い列を作っているのを、私はこれまで度々見てきた。
 大金を投入したこれらのシステムが使われないで長年にわたって寝てしまっていること事態が大きな問題だ。
 製造業の生産設備は、如何にすばやくフル生産に立ち上げて、数年で投資回収をしてしまうことで成り立っている。私達生産技術者の目標は、常に新しい設備を如何にすばやくフル操業させられるか、そしてその腕前で技術者の力量が量られてきた。どうもそこのところの物差しに大きな違いがあるようだ。
 

2007年09月16日

製造業の進化論

製造業が持続的発展をし続けるには、そこに独特の進化論がある。世界の工場と言われるくらい隆盛を極めた多くの日本の製造業が、20世紀終盤にバブル経済の煽りを食らって空洞化し、次々と淘汰されていった。しかし、その一方でしぶとく生き残って頑張っているところもあるし、むしろトヨタ、キヤノン、シャープ、リコー等のように世界に君臨しているところもある。
生き残る企業は、数が少なく圧倒的に多数の企業が立ち行かなくなっているため、もう日本では製造業は難しいのではないかと多くの人たちが思い込んでいるだろう。土地代や人件費、エネルギーに環境問題などを理由に、多くの非技術系の人たちが悲観的な見方をしている。

では、真実は一体どちらなのか?

勝ち組と負け組みを分ける大事な法則がそこにある。
日本人は、元々世界に類を見ないほど製造業に適した国民性を持っている。これは、長い歴史と農耕文化に裏付けられたもので、それが明治維新以後、欧米から移入された産業による通商立国強兵思想と一体化して爆発的に開花した進化の歴史がある。その流れを脈々と受け継いでいるのが、現在も世界において君臨している先のトップ企業群であるといえるだろう。
このように持続的に発展を維持し続ける成功の秘密は何か? 
それは、一言で言えば「改革の持続」ということになるだろう。改革を持続する意識がなければ製造業は生き残れない。
人間は、苦しい思いをして一つの成果を達成すると誰でも、そこに安住する心が生まれてしまう。それがきっかけとなって大きな停滞に繋がって行く訳だが、「改革の持続」を重ねることによって更に進化の道が見えてくるものなのだ。

製造業が改革するためには、単なるコストダウンでは駄目だ。「新しい生産技術の開発」という中期的な視点での進化を目指せなければその企業は停滞へ向かい出す。
生産技術開発というのは、通常生産性を二倍、三倍に高める技術開発である。実際にかっての私達は、生産性を八倍に高めようという具体的な生産技術開発の目標で動いていた。それは、世界の巨人である、イーストマン・コダックを打ち負かすためにどうしても必要な、生き残るための切実な目標であったからだ。
これから製造業として世界市場で生き残って行くためには、独自の生産技術開発で生産性を数倍に高める大きな開発目標を掲げる、その意識が先ず必要である。
若い世代の人達には、具体的な過去の数々の事例を参考にして頂いて、21世紀の「モノ作りニッポン」の新しいシナリオ創りにチャレンジして頂きたい。

2007年09月13日

両輪機能の欠落

安倍政権がいともあっけなく空中分解してしまった。
あのゼロ戦よりも、はるかにヤワで脆い構造であったようだ。戦後レジームからの脱却がお題目であったが、とてもあの失敗国家の象徴である戦時中レベルにも達していない。
大きな組織がシステムとして機能し続けるためには、両輪機能が不可欠なのである。生産技術開発を行うにもこの法則は当てはまる。両輪機能の働かない生産技術開発は、皆早晩挫折し、空中分解して来た。
長年生産技術開発の組織を観察してきた私の視点がそこにある。
生産技術開発というのは、やはり地道な努力を続けられてこそ真価が発揮できるのであって、いきなり梯子を外されるような組織では、やってられないのだ。
生産技術研究組織のある製造業が長く存続出来る所以である。