
2006.12.01 朝日新聞より
日本が誇る世界的ブランドである
ソニーリチウム電池の品質故障問題は、われわれ生産技術開発を担当している技術者にとっては聞き捨てにすることの出来ない深刻な問題を孕んでいる。日経ものづくり2006.12の緊急レポート、拝啓 ソニー様でも取り上げられたようだが、このような案件を日本のマスメディアが取り上げる際は、いずれの場合も表層的、定性的憶測を論じるだけで物事の本質に肉薄する分析が全然なされないのが、技術の専門家としては歯痒い限りである。
松下のファンヒーターでの死亡事故や三菱大型トラックでの死亡事故、シンドラーエレベータ死亡事故、六本木ヒルズの回転ドア死亡事故などなどあらゆる技術設計が関わる問題で
技術責任者の発言を重く取り挙げていないのは日本社会の大きな欠陥である。
技術的な問題に対しては、もっと技術責任者の発言が取り上げられ、その妥当性について技術の専門家が議論できる社会的な風土が築き上げられていかなければ、とても技術立国社会とは言えない。世の中の
理系離れ、工学離れ現象は、マスメディアが技術者の責任ある発言を求めず、上っ面だけの報道しかしないところに根本的な原因がある。それをどこのメディアでも気付いていないのは誠に遺憾である。
技術的な問題であるにも拘らず、その本質を全然理解することのできない文系経営責任者が発言し、一列に並んで謝っている写真を載せてみたところで、前近代的日本社会の儀式を報道しているに過ぎず、犠牲者やその遺族の鬱憤は少しも晴れない。
技術的な問題に対しては、技術の分かる責任者しかコメントする資格がないし、その責任を取ることも出来ないということをシッカリと認識していただきたい。
さて、このような話をすると横道にそれるのがいつもの私の悪い癖だが、今回の電池事故で技術系責任者がきちんと反省の弁を述べている点は評価できる。但し、その根本原因の分析や評価となるとソニーといえどもそれを明らかにする本質的な力が備わっていないということが容易に憶測されるのは私だけだろうか。
カメラや自動車、機械、電気製品などかっての花形産業分野の日本製造業は、その多くが機械加工や組み立分野に属していた。即ち、いまその多くが
国内空洞化を懸念されている分野である。
だが、今回の電池のような高機能複合材料製造分野というのは、技術の核心部分が全く違うということを一般の人はまだ十分理解できていないと私は思う。前者の製造業分野では、故障品が発生するとそれは何らかの手段で人が眼で見て観察、理解できるし、不良品は手直しして出荷することも可能な分野である。
しかし
高機能複合材料分野の製造では、それが全く出来ない。不良品は、廃却して産業廃棄物として処理するしか手が残されていないのである。そしてもっと難しい問題は、品質故障が発生したことすらが製品を見ても直ぐには分からないということが根本的な核心にあるということである。
今回のリチウム電池の問題では、500億円以上の回収費用が発生したと報告されている。これは上に述べた問題を物語っている。
「プロなら予見するものだ」というご発言は当然だが、目に見えない潜在的な問題点を予見するには、生産技術力の構築が不可欠だ。私どもは、品質故障が目に見えない、製品を見たのでは合格か不合格かが直ぐには判読できない
写真・感光材料製品を暗闇の中で半世紀以上作り続けてきた。
その経験からであるが、恐らくリチウム電池の場合は、品質的問題が顕在化するには少なくとも3ヶ月以上かかる問題が根本に潜んでいたと私は推察している。
リードタイムが短くなった昨今、3ヶ月先に結果が表に見えてくる品質保証問題をどのようにして予見して、通常の製造を可能にするかというのがわれわれ「
モノ作りニッポン」生産技術コンサルティングの根幹をなしている。この製造分野には、空洞化が来ることは当分ないと私は確信している。
高速デジタル技術の及ばないアナログ技術の真髄でもある。いかなるISO認定工場でも、管理の根本である情報のフィードバックに3ヶ月もかかるようでは、現在の厳しいモノ作り分野では管理が管理として機能できないことは明白だ。
私が、感覚的に
「ISOでは品質保証は出来ません」と言ってきた所以は、恐らくこの辺にあるはずである。ISOを入れても、生産技術がなければ新しい先端分野のモノは出来ないのである。